やっぱ十二国記は完結してない、かも【続編への光明】
私、18年ぶりの長編新作 白銀の墟 玄の月の発売に前後し、畏れ多くも「 十二国記シリーズのメインストーリーは白銀の墟 玄の月で完結 」と書いていたのですが。
これが私の間違いだった可能性が出てきました。
つまり十二国記ファンにとっては続編への一筋の光明が……!
まさしく、新潮社は厚く低い雲に覆われた蓬莱の、ただ一つの晴れ間。小野先生は一穴の蒼天、新潮社が天蓋であらせられるなら、十二国記は光輝。
私たち蓬莱の人々にとってなくてはならない存在なのです。
要は、こいよ超大長編 十二国記 恭編ってこと!(ワンピースぐらいの巻数で)
根拠はほぼ日の学校
「 十二国記シリーズは白銀の墟 玄の月ではまだ完結してなくてまだ続くかも 」の希望が見えました。
根拠はほぼ日イトイ新聞で主に古典成分を担当する『 ほぼ日の学校 』でのこと。
(ほぼ日イトイ新聞は伝説のライター糸井重里さんが主催するウェブサイト。人気RPGゲーム mother2『 エンディングまで泣くんじゃない 』や『 想像力と数百円 』など名コピーを生みだしたあの糸井さんです)
ほぼ日の学校 校長 河野通和氏が、ほぼ日主催イベント『 本屋さん、あつまる。 』に出展された十二国記屋に触れていたんですよ。
で、twitterでフォローしている十二国記ファンの方が問題の部分を見つけてご紹介されていて気づいた次第です。
そのうちの一部がこれ。
(前略)
朝10時の開店と同時に、すぐ賑わったのは十二国記屋です。待ちかねた人たちが、開店前からすでに列をなしていました。
小野不由美さんのファンタジー小説『十二国記』シリーズの最新長篇『白銀(しろがね)の墟(おか) 玄(くろ)の月』(全4巻、新潮文庫)が、昨秋18年ぶりに刊行されます。現在までに4巻合わせて254万部! 発売されるやいなや、凄まじい勢いで売れているのは知っていましたが、その底力をまざまざと見せつけられた思いです。
『十二国記』は、古代中国風の異世界を舞台に、王朝の繁栄と没落を描く歴史絵巻です。まだ完結していませんが、文庫本のシリーズ累計は、すでに1200万部を超えています。
(後略)
(本記事に関係ある部分だけの引用なので、全文は引用元「 ほぼ日の学校長だよりNo.115 」でご覧になってください)
「 まだ完結していませんが 」
「 まだ完結していませんが 」
「 まだ完結していませんが 」
٩(ˊᗜˋ*)و
信憑性も高い?
恥ずかしながら存じ上げなかったのですが、河野通和さんは2010年から2017年まで新潮社にて「 考える人 」の編集長を務めたお方。
2017年4月に株式会社ほぼ日に入社されたようですが、それでも十二国記 完全版が企画・刊行されていたころの新潮社に在籍されていたはず。
もちろん、新潮社にいらしたからといって十二国記の情報に精通していたとは限りません。が、社内の噂として構想などある程度の情報は入っていたとしても不思議はない。
つまり私は間違っていた
私の『 十二国記白銀の墟 玄の月で完結した説 』が誤りであったならば、そんな言説によってストーリー続編を諦めてしまった皆さまにお詫びを申し上げねばなりません。
そして心よりお慶び申し上げたい、申し上げたいっていうか喜びたい、っていうか喜びです。
ただ一点、河野さんが仰る「 完結していない 」が2020年発売予定の短編のことでしたら、私の長編完結説とは矛盾なく両立していまうのが不安要素。
そこは祈るしかない。
私が唱えた十二国記本編完結説もそれなりの根拠に基づいて主張したつもりでした。
いろいろな文芸雑誌で組まれた最近の十二国記特集記事も確認し、知人から資料を借り受け、それでも足りない分は国立国会図書館へ足を運んで作者インタビューなどが掲載された古い雑誌も確認。
いま思えば自分が好きなシリーズが完結したことを確認する地獄のような作業でした。国立国会図書館にテンション上がってなかったら死んでいた。
それでも、結果的に誤報であればお許しを乞うべきと考えます。申し訳ありませんでした。
こんな言葉ではお許しいただけないかもしれません。ご批判・ご批評あるかと思います。
しかしすみません、その頃には私はもう無敵です(煽るな)。
これまた申し訳ないことに、私としては十二国記をさらに読めるならそれで満足。至上の喜び、無敵です(煽るな)。
時系列年表も更新しなきゃ! どうしようもうこれ以上挟むスペースがないよ! と喜び無敵です(煽るな)。
残念ですが無敵です(煽るな)。
(私が十二国記シリーズの本編は白銀の墟 玄の月で完結とした記事は下記リンクよりどうぞ)
まとめ:やっぱ十二国記は完結してない、かも
- ほぼ日の学校長、河野通和氏が十二国記について「 まだ完結していない 」と触れる。
- 河野通和氏は2017年まで新潮社で「 考える人 」の編集長も務めたお方で、信憑性は高め。
- ただし、本編ストーリーのことではなく2020年の短編の発売予定をもって完結していないとしている可能性もある。
正直なところかなり願望が入っています。ただ河野さんも具体的にはおっしゃられておりませんし、まだ短編集があることを念頭においてのご発言かもしれません。
しかし私としてはぜひ続いてほしい。
白銀の墟 玄の月の展開予想で正頼黒幕説を外した私です。完結って話も外れていて欲しい。
十二国記シリーズも新潮社の長い歴史のなかでも類を見ない大ヒット、第5回吉川英治文庫賞も受賞したことですし、ぜひ長編続編もお願いしたい。
贅沢は言いません。こち亀ぐらいの巻数でいいのです。たったの200巻ほどです。
小野不由美先生、新潮社さん、ぜひぜひ!
ディスカッション
コメント一覧
お久しぶりです。以前、コメントを書かせていただいたのは『白銀の檻 玄の月』完結前のことでした。
色々な人に謝らなければならないようなコメントを書いておりました。
十二国記の続編に関しては書いてほしいけれども、小野不由美先生の体力など考えると難しいのではないかと考えております。『白銀の檻 玄の月』2巻のような状況で作者死亡により・・・などという状況になるくらいならば今の状態で構わないじゃないかというのが正直な気持ちです。
何よりも先生の健康状態を天帝に願う今日この頃です。
ここからは、『白銀の檻 玄の月』完結後、様々な人の感想や『風の海 迷宮の岸』などを読み返して考えたことなどを書いております。
『風の海 迷宮の岸』を読み返して感じたことは阿選は絶対に王に選ばれることはないだろうと思いました。
『風の海 迷宮の岸』の時点で泰麒は王気についてよく理解していませんでした。
驍宗も「戴を出る」と泰麒に言わなければ追いかけてきてもらえず、泰麒は王を選べず生涯を終えた可能性のあったかもしれません。「戴を出る」と決めた驍宗と「戴を出なかった」阿選、それが王とそうでない人の違いかもしれません。
季斎は何も考えずに心のまま動いたほうがいい結果を残しているような気がします。逆に考えすぎると悪い結果になるような気がします。『風の海 迷宮の岸』では、恐らくあまり深く考えずに泰麒を散歩に連れて行き、驍宗と再会させ、驍宗の笑顔を見せて怖い人という誤解を解いています。泰麒を危険な狩りに誘ったり、妖魔の巣穴にのこのこと入っていき、怪我を負うことになりますが、それがきっかけで泰麒が使令を得ることになります。李斎は驍宗と泰麒の仲を取り持つキューピットのような役割だったんだなと読み返して思いました。
覿面の罪を犯させるかもしれないけれども、心のままに慶にいき、泰麒を取り戻し、心のままに、西王母に文句を言って穢れを払ってもらったりしています。一度目の穢れは不可抗力だけど、2度目の穢れは自分自身の意思で起こしたことだから完全に払ってもらうことはできなかったかもしれません。
「天に抗う物語」とするならば、泰麒の行動が天への反逆と感じました。麒麟は偽りの誓約を出来ないという常識を破りました。このことにより、麒麟が偽の王を選ぶかもしれないという可能性を生み出しました。また、人を殺傷したことで麒麟の正当性を揺るがしたような気がします。この辺はうまく書けないのですが、麒麟が無条件に正しいという思い込みのようなものに疑問を生じさせるような気がします。語学力があればもっとうまく書けるかもしれませんが、うまく形になりません。
『白銀の檻 玄の月』が『魔性の子』からの続きで自分自身の居場所を手に入れる物語とするならば、国を取り戻すのではなく、王を取り戻した時点で完結したのかなと思いました。泰麒の居場所は国というよりも驍宗の隣であり、驍宗を取り戻した時点で自分自身の居場所を取り戻したんだなと思いました。
泰麒のイメージソングとして谷山浩子の「ゆりかごの歌」です。
谷山浩子はNHKのみんなのうたなどでおなじみの歌手です。
「人は人を殺せる 歌は繰り返す 人は人を殺せる そう作られた
お前が世界に生まれてきたことを 人は祝うだろう 涙の中で」
歌詞を一部抜き出してみたのですが、人は人を殺せるなどと繰り返されていたりとかなりダークな歌です。
「不意に激しくなる 風に煽られて ゆりかごは落ちる お前は落ちる」
この部分が、蓬山というゆりかごから蓬莱に流された泰麒にぴったりだなと思っています。
youtubeやニコニコ動画であると思うので聞いてみてください。
ちなみに『魔性の子』の広瀬先生のイメージソングは一青窈のハナミズキです。
長々ととりとめもなくかきつらねて申し訳ありません。お体にはお気をつけてください。
AOさんお久しぶりです!
続編、多くのみなさんもがジレンマになっていそうですよね。
私も「続きが読みたい……でも未完で終わったら……なんていうのも縁起でもなくていえないし……小野不由美先生……仙籍……」
って感じでぐるぐるしています。もう書いてくださればなんでもありがたいですし、縁起でもない話、例え未完に終わるなんて結果になろうとも応援したいので、ぜひとも小野不由美先生のなさりたいように、と最近は考えています。
>驍宗も「戴を出る」と泰麒に言わなければ追いかけてきてもらえず、泰麒は王を選べず生涯を終えた可能性のあったかもしれません。「戴を出る」と決めた驍宗と「戴を出なかった」阿選、それが王とそうでない人の違いかもしれません。
奇遇なことに私も最近ようやく阿選について腰を入れて色々考えて記事を書いているところで、この対比はすごく気になりました。
「昇山(驍宗との勝負)から逃げたくせに、かといって自分が驍宗の紛い物とは認められないから戴を出られない」阿選と、「昇山したうえで、選ばれなければ戴のために戴を出る」と決心した驍宗。
私も似た考えだったのですが、もしかしたらこのとき「苛烈すぎて危うい驍宗」と「屈折して危うい阿選」とで王選はかなり拮抗していて、そのせいで一度は泰麒も驍宗こそ王と断言できなかったのかと。
しかし、王に選ばれなかった驍宗が「戴のために出ていく」と決心したことで、うじうじしていた阿選との差が決定的となり、天秤が驍宗に傾ききったのかと。
ただ、全然王になる意志もないし、人を率いる器的な要素がなかった陽子も王に選ばれているので、王選の時点での考え方などとは別に、その人物の未来の姿も王選に含まれているのかもしれません。であれば驍宗の「戴を出る」決心だって本人が心を決める前からわかっていそうなものですし。
それはそれで図南の翼で珠昌が犬狼真君に試されていたっぽいのもよくわからなくなってしまうし、うーん、ですが。犬狼真君は王に対して思うところがあるから、天意のある珠昌を個人的に試しただけともとれますが。
「天に抗う物語」として泰麒はかなり恐ろしい存在ですね。天の定めたルールを理屈でねじ伏せていますし。「麒麟としてやるべきと感じたら」天に背くことすらできるのではないかと。天が民を苦しめる存在と認識したら……
>驍宗を取り戻した時点で自分自身の居場所を取り戻した
この発想はなかったです! たしかにそういう意味では、白銀の墟 玄の月はあの終わり方で最高ですね。確かに驍宗を取り戻した時点で泰麒は帰還した、といえます。
山浩子さんの「ゆりかごの歌」は恥ずかしながら聴いたことがなかった(もしくは記憶にない)です。今度探して聴いてみますね。
あ、大した話もないのに思考がぐるぐる回ってなかなか書きあがりませんが、阿選の考察記事も近日中に上がる予定です。お時間ありましたらぜひ読んでやってください。
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