大人になった私の尻を蹴りあげる、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

2021年4月5日

はじめてエヴァンゲリオンを観た当時、私は14歳の主人公 碇シンジくんより年下でした。それがいまとなっては劇中のミサトさんよりも年上。

似たような事情の方、多いのではないでしょうか。なんなら、ミサトさんや加持さんは軽く飛び越えて碇ゲンドウの方が歳が近い、なんて方もいらっしゃるかもしれません。

で、気づいたのです。Qや最新作のシン・エヴァンゲリオン劇場版:||はそんなわれわれのお尻を蹴りあげているのだと。

本記事は新劇場版Qやシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレを含みます。まだ観てない方は要注意。

エヴァの呪縛ってそういう?

瞬間、尻、蹴りあげて
マティスなんて持ってない。

いまさらな話ですが、「エヴァの呪縛」で14年間(身体が)成長しなかったアスカやエヴァ初号機に取り込まれたがために14年間心身ともに成長しなかったシンジくんは「ガキのまま歳だけ取った」残念な大人を表しているんじゃないかと。

ある意味、いい大人のくせに自分のエヴァ像に囚われて文句ばかり垂れている私たちのような残念な人こそ、エヴァの呪縛にかかっているんだと思えるんですよね。

いや、ごめんなさい主語がデカいですね。私たちっていうか私なんですけども。

で、そうした問題提起をしたのがQで、いよいよ私の尻を蹴りあげたのがシン・エヴァ劇場版:||だと思うんです。

成長した子どもたち、さらに大人になった大人たち

シン・エヴァ劇場版の序盤ALWAYS 三丁目の夕日パートに、シンジくん同級生だったトウジ、ヒカリ、ケンスケが大人として登場します。

粗野だったトウジはみんなの頼れるお医者さんにして一児の父。

ヒカリも立派な母親で、綾波そっくりさんの面倒もみてあげられる。

ケンスケも日々自分の仕事をこなしながら、ガキシンジのメンタルまでフォローしちゃう。あの分だとアスカも相当お世話になっていますね。

14年で本当に立派に成長して大人をやっている彼ら。一方、私はどうだろう。

四半世紀ぶりのキックアス

こちとらはじめてエヴァンゲリオンに触れてから25年。14年どころか四半世紀も経っているのに、あまりにもガキのまんま。

トウジのように人を助けるわけでもなく、ヒカリのように人を育てるわけでもなく、ケンスケのように人を支えるわけでもない。ミサトさんの「シンジくんが何をやっても責任は保護者である私にある」ってセリフもまた耳に痛かった。

私なんて自分の言動の責任がとれているかも定かではないし、それどころか朝「おはようございます」と気持ちよく言えているかすら怪しいのに。

そんなヤツが「Qなんかエヴァじゃないやい!」なんて言ってたわけですね。恥ずかしくてしょうがない。

そんな私の尻を蹴りあげてくれる。シン・エヴァ劇場版:||はそんな作品だと思うのです。

シン・エヴァ劇場版:||もめちゃくちゃだけれど

だからシン・エヴァ劇場版を無条件に称賛するわけではないんですが、アニメとしてのエンターテイメント性とファン求めるエヴァンゲリオンっぽさを双方最大限高いレベルで両立したすごくいい作品だった、が感想としては一番。

ファンサービス的な展開も多かったし驚きもあった。アニメ最終回や旧劇っぽいわけわからん演出も混ぜつつも、テンポがいいので退屈しない。その辺りのバランスはすごく気を遣ったのではないかと思います。

Qより無茶苦茶な点も多かったとは思うんですけど、その辺りは気にならならず。それは別に私が大人になったからではなくて、事前公開されたシン・エヴァ劇場版の冒頭シーンであることに気づいたからですが……

端的にいえばQ以降のエヴァンゲリオンはこれまでのウルトラマン路線じゃなくて、トップをねらえ!路線になったんだ、って話。書き出すと長くなりそうなので、そこはまた今度。

まとめ:シン・エヴァ劇場版:||に叱られて大人になろうと思いましたまる

要は、いい大人なんだからいつまでも文句ばっか垂れてないでもっと地に足つけてちゃんとしろ! ってお叱りをいただいた気分でした、って話。

本来ならQの時点で気づいているべきことだったようにも思えますけど、残念だけど私は残念なやつなんで……

なんて臆面もなく言えるあたり、やっぱ全然大人になってない気がする。あじゃぱー^ρ^。