冒頭とラストの轍の意味考察 – 劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン

2022年4月13日

度重なる公開延期もありましたが、ようやく完結をみた劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン。美しく純真な獣が武器に、人形に。そして一人の女性となる物語の完結にふさわしい最後でした(これで完結かは不明だけど)。

語りたいことは山ほどありますが、ここはあえて一点に絞って作中印象的だった「 轍 」のシーンに込められた意味を考察します。

なお、本記事は劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンをすでにご覧になっていることを前提に話を進めます。テーマが狭いので範囲が限定されるとはいえ、ネタバレにご注意。

時計の音と道の轍

アイキャッチ画像-轍の刻まれた道

印象的な轍に込められた意味。

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンの冒頭、時計の音とともに、轍の刻まれた道が映る。直後、アニメ本編でも登場したアンの家と、秒針付きの壁掛け時計が映るカットに場面が移るので、単純にその繋ぎのようにも思えます。

しかし、ラストでも同様に時計の音とともに轍の刻まれた道が映され、しっかりとした足取りで歩むヴァイオレット・エヴァーガーデンの背中が描かれます。単なるつなぎではなさそう。

とても印象的であると同時に抽象的なので、この轍のシーンはいろいろな解釈ができると思います。

例えば、交わることのない二つの轍の間にヴァイオレットが入ることで、絆を結んできた旅を示す、とか。

ヴァイオレットがエイミーとテイラーとを結ぶ、三つ編みの一本となったように。ルクリアとスペンサー兄妹の絆を取り戻したように。

もしくは、あれは同じ道を寄り添って歩み始めたヴァイオレットとギルベルトを表したのかもしれません。

その先に続いたのがアンの家とデイジーの存在だった。冒頭の轍のシーンではそれを暗示していたのでしょう。

本編の何気ないシーンがヒント?

私はどちらかといえば後者の「 同じ道を寄り添って歩み始めたヴァイオレットとギルベルトを象徴する 」の方が有力と考えます。というのも、本編中にそれを匂わせるようなシーンがあったので。

エカルテ島を訪ねたヴァイオレットが、雨のなか扉越しにギルベルトに想いをぶつけるシーン。ヴァイオレットが大馬鹿野郎に拒絶されてしまう悲しいシーンですが……

その会話のなか、何気なく轍の跡が残るエカルテ島の道が映されます。道の上を小さい川のように一筋に流れていた雨水が、途中から二つに分かれています。これが、たったいま決別してしそうな、あるいは戦後離別してしまったヴァイオレットとギルベルト示唆しているように思えるのです。

分かたれた道

もともとはギルベルトに意外に興味がなく、他人の気持ちなどつゆほどにも考えられなかったヴァイオレット。

しかし劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンでエカルテ島に赴いたときは、自身に会いたくないなどとのたまう大馬鹿野郎の気持ちを察し、また仕事の約束をまっとうするため、会わずに帰る決断をするほどまでに他者の気持ちを考えられるように成長していました。

その観点からいくと、道のなかに続く二本の轍はきっと、寄り添って生きた二人が歩んだ道なのでしょう。

思えばヴァイオレットは、自分の意思で歩いたことはなかったように思います。武器として共にいた頃はギルベルトの背中を追い、戦後はギルベルトが用意していたエヴァーガーデン家に入り、ギルベルトの親友ホッジンズに保護されて、と。

名もなく言葉も人の気持ちも愛も知らない純真な獣ではなく、道具でもなく、武器でもなく。

ただギルベルトの後ろをついて歩くのではなく。愛を知る一人の人として、愛する人とともに寄り添って歩いた、その轍が刻まれているのではないしょうか。

そしてそんなヴァイオレットの歩いた軌跡が、彼女が生きて伝えた言葉のが育んだ多くの愛の暗示として、轍はアンが暮らしたゆかりの深いマグノリア邸へのつながっていたのです。もちろん、その轍の先にある孫娘のデイジーの存在も示唆しているのでしょう。

まとめ:劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン、その轍

もちろん、これはあくまでも私の解釈。

雨水の筋が分かれる=離別したヴァイオレットとギルベルトのメタファー、なんて牽強付会か? と思わないでもない。ただ強い雨が降っていることを表現したシーンで、考えすぎなだけ。

でも、冒頭とラストに出てくる轍の方はいろいろな解釈ができると思うんですよね。

今回私が思いついたようなヴァイオレットとギルベルトが並んで歩いた道の跡なんて説もありでしょうし、もしかしたらその後も続いていったヴァイオレットの人生を示唆しているのかもしれません。

こうした考察とか解釈はただの考えすぎも多く、我ながらナンセンスだなと思いながらも、どうしても考えずにはいられないんですよね。

とはいえ、せっかく読んでいただいたのになにひとつ共感していただけないのでは悲しいので、ひとつだけ確かな言葉で結びとします。

ギルベルトは大馬鹿野郎。