驍宗の生死考察【白銀の墟 玄の月 第一巻・第二巻】

2020年2月21日

本記事は十二国記 白銀の墟 玄の月のネタバレを含みます。

すでに白銀の墟 玄の月の第一巻・第二巻をお読みになった方向けに書いておりますので、まだ読み終わってない方はまず二巻までお読みになってください。

目次も開かないことをオススメします。

どうしてもなにか読みたい方は、答え合わせが近づき尻がむずかゆくなってきた下記記事でもどうぞ。

驍宗は死んだのか、生きてるのか

十二国記白銀の墟玄の月第二巻表紙

新潮社十二国記公式ページより ©️小野不由美 / 新潮社

白雉は末声を鳴いただろうか。

結論から申し上げれば、白銀の墟 玄の月のラスト、老安で亡くなった回生の主公は驍宗ではないと考えていいでしょう。

回生の主公は別人で、驍宗は生きていると考えるのが妥当と考察します。

死んでいない説の根拠

驍宗が死んでいない&老安で死んだ回生の主公が驍宗ではない根拠は下記です。

  • 回生の主公が死んだ時期と白雉
  • 回生の主公は死の間際に「 台輔 」と発言
  • 回生がいた隠れ家は女の子が水流で食料を流していた洞窟とは別に見える
  • 泰麒の王宮の奥への一礼
  • 仙である王がいまさら外傷や里人が手に入れられる程度の毒で死ぬとは思えない

驍宗が生きていると考えられる一番の根拠は白圭宮で白雉が落ちていないことを確認したのが老安の武将が死んだとされる時期よりあとと思われる点。

李斎は老安の武将が死んだのが泰麒が李斎のもとから去ったのが同じ頃、としていました。しかし、泰麒が白圭宮に乗り込んだとき、慌てた張運らが白雉が落ちていないことを確認しています。

ちなみに泰麒が李斎がのもとを去ってから白圭宮に着くまでは数日、多分四日です。李斎の言う「 同じ頃 」が多少アバウトだとしても四日もズレているとは考えられませんし、泰麒が白圭宮に着いてから第二巻ラストまで一度しか白雉を確認していないなんてことはないでしょう。その間にも白圭宮では驍宗の禅譲が云々なんて話になっているのですから、やはり白雉は落ちていない=驍宗は生きていると考えられます。

続いて台輔発言。驍宗は泰麒を台輔ではなく自身が贈った字 蒿里と呼んでいます。ほかの国の例をみても王は自国の麒麟を字や国氏をつけた○麒、○麟と呼んでいることが多く、台輔と呼ぶことはあまりありません。驍宗が絶対に台輔と呼ばないとは言い切れませんが、驍宗最後のセリフでわざわざ呼び方を変えるとは考えづらい。

また父娘が苦しい生活のなか月に一度食料を「 お供え物 」として洞窟の川へ投げ込んでいる描写も驍宗生存の伏線かと。死んだ回生の主公は元気になっては外出し農作業すら手伝っていて、世話をしてくれる回生もいるのに、ここまで迂遠な形で月に一度食料を補給するのは不自然。

回生と主公がいた老安とは別にもうひとつ別の隠れ家がある。であれば、いまだ詳しく触れられないこちらが本命と考えるのが自然です。

泰麒が一度倒れかけてから北方面、王宮の奥に向かって一礼するようになったのも気になるところ。阿選の方向かとも思われていますが、実は驍宗が王宮の奥に隠されているか、白圭宮のある瑞州からは北北西方向にある文州で潜伏する驍宗を向いてのことともとれます。

あと、これは前回記事にいただいたそうじんさんのコメントで「 なるほど 」と思ったヤツ。神仙たる王が市井の里人が手に入れられる程度の毒で死ぬとは思えない。いくら無理をして体調を崩したといっても、6年も生きて来られた傷がもとでいまさら死ぬとも考えにくい。

男はすでに仙ではなくなっているのでは? と考えると、驍宗ではありえません。王は王である以上神仙で、王をやめるときは死ぬときです。しかし一介の軍人や官吏なら自分で仙籍を返上したり、国が剥奪することができます。行方をくらませた驍宗配下なら阿選らによって仙籍を剥奪されていた可能性が高く、毒や負傷がもとで死ぬのに不思議はありません。

偽物の白雉の足で仙籍を動かすことができるかは意見が別れそうなところ。

仮にも数年間偽朝を運営してきたのですし、耶利に官位を与えて昇仙させるって話しもあったので仙籍のつけはずしは可能とみてよさそう。

ただ、それだと李斎や項梁は現状仙なのか? って話しにもなってくるような。

仙は仙籍に名前が残って生死がわかるはずなので、李斎や項梁の生存も阿選側にわかるはず。なら官位を剥奪して仙からおろすはず。

李斎って仙だとか仙でないとか明言してたっけ? 仙でもない状況で戴のあちこちを逃げ回り、あの傷で死なずに済んだ? もっと深堀りしないとかも。

10/22追記:

老安の武将が死んだ時期と白雉については吾木香さんとまるさんのコメントをヒントに検証して追記しました。

吾木香さんとまるさん、ありがとうございます〜。

反説:老安で死んだのはやはり驍宗?

ここからは妄想です。描写的にいえば老安で死んだのは驍宗ではないと考えるのが筋ですが、老安で死んだのが驍宗である可能性も排除はできないし、一部回生の主公=驍宗ともとれる伏線もあります。ミスリード狙いかはわからないけれど。

  • 泰麒が膝を折るほど体調を崩した理由
  • 回生の主公が体調を崩したのが夏頃
  • 回生の名前が意味深

具体的にいえば上記二点に関していえば、回生の主公が驍宗であれば説明になります。

一点目、血の穢れや怨嗟はすでに快癒しているはずの泰麒が白圭宮で一瞬にして体調を崩し膝をついたシーン。これが老安で驍宗が死んだことを感じ取ったか、死期が近いことを悟ってのことでは? と考えられます。時期的には大体同じと考えられます。

二点目、回生の主公が体調を崩して倒れたのが夏ごろである点。夏ごろといえば泰麒が魔性の子で集めた血の穢れと怨嗟がピークだったころ。または黄昏の岸 暁の天でこちらへ帰還した瞬間とも考えられます。

麒麟の失道なら王に影響はありません。しかし泰麒は麒麟としての力そのものを失っており、その泰麒に選ばれた王にもなにかしら影響がある可能性はあります。その影響を受けていたからこそ、驍宗も6年間も身動きをとれずにいたのが、泰麒の状況がますます悪化し驍宗もついに倒れてしまう。そして折悪く、王=仙として不安定なときに老安の人々に毒を盛られて……

あり得そうな話ではあるけど、ちょっと考えすぎ?

まとめ:白銀の墟 玄の月

驍宗には死んでほしくない願望も込み。しかし小野不由美先生、やるときは主人公でもバッサリ死なせたりする(ネタバレになりかねないので作品は伏せます)ので全く安心できない。

いずれにせよ、回生と彼に託された一本の短剣が今後物語で重要な役割を担うことは疑うべくもないですね。

老安で死んだ回生の主公が別人で驍宗は生きていたとして、驍宗をその仇として刺しかねない迫力すらあります。泰麒も危ない。

にしても、回生って名前も含蓄に富んでいます。起死回生の回生。

生き返りを意味する回生と、死者の魂が還る蒿里。そして驍宗の死に憤る回生と、すでに驍宗の死を受け入れた蒿里って対比も背筋がゾクッとくるものがあります。

名前からして対極的な二人が同じ主人を持ったと考えると、やはり老安で死んだのは驍宗なのだろうか。

悲しみを背負った二人と、たくさんの悲劇が起きた戴のこと、せめて行く末が穏やかならいいんですが……